この15年間、ヨーロッパ卓球は「失われた15年」となった。
伝統の卓球強国だった東欧を中心に「もっとお金の貰えるスポーツ」への移行が進んだ事などが原因だと言う。
アジアVSヨーロッパという図式はすでに過去のものとなった。
中国で開かれる企画試合「アジアVSヨーロッパ」でも、少しアジア側が戦力を落とさねば(明言はしていないが、あたかも手加減したようなメンツ)、戦力の均衡が取れなくなった。
この15年で、アジアのトップ選手と互角に闘える選手は数える程しか産まれなかった。
オフチャロフ、メイス、フレイタス、クリサン、ズース…これ位挙げた所ですでに人選が苦しくなってしまうレベル。
しかしヨーロッパ卓球は、あと一人、宝物を産んでいた。ティモ・ボル。
この人が居なかったら、本当に「ヨーロッパ卓球」というジャンル自体が消滅していたのでは、というレベルの大功労者だ。
ボルの素晴らしさは・・・まずルックスの良さ(ヒーローの必要条件)。
そしてその超独特スタイル。ボルは、彼の前に活躍していたワルドナー、パーソン、セイブ、ガシアン、同じドイツのサウスポーであるロスコフ、その誰とも違った独特のプレーを編み出していた。
例えば、あまりにも大股に開いた安定感過剰のフォーム。
さらに主戦武器は「ループドライブ」。当時すでに「あまり打球点を落とさないように」と言われていた時代で、打球点を相当に落として、掟破りのループドライブ連発劇を見せたのが、このボル。
しかしそれは「打ちごろの球」では無い。スピードはゆっくりだが驚異の回転がかかっており、ヘタなカウンタードライブはもれなくオーバー&ネットにかかるという、毒針ドライブ。さらにカウンターが怖くてブロックすれば、一転して打球点の高い両ハンドで決めにかかる、超わかりやすい必勝パターンで「来た来たァ!ボルの十八番!」と声が出る気持ちよさ。
さらに、右利きの相手に効果的すぎる、ガラ空きのフォアに大きく突き放すノータッチバックハンド(多くの中国選手にもこれにはお手上げだった!)。
大ピンチの時は、右手に持ち替えて急場をしのぐ事もある。何から何まで独特のスタイル。
それで居て、観ると清々しくなる、ボルの卓球の美しさ。
2004年のアテネオリンピックでワルドナーがボルを破った際に語った「彼はクリーンな卓球をする」という言葉は、クセの無い、相手に対してやりやすい卓球をするという意味だったが、その「クリーンで見やすい卓球」だったからこそ、ボルらしいキレイな卓球として、僕らの目に大いに受け入れられたと思う。
そんなボルは「卓球=中国」という、多様性という意味ではある種死んでしまった今の卓球界において、「唯一のレジスタンス」とも言うべき、必死の抵抗を見せ続けた。
まずワールドカップを2回も勝った(2002、2005)。これは今後中国選手以外では出ないレベルの快挙。特に2005年のリエージュ大会は、準々決勝から、王励勤、馬琳、王皓と、中国トップ3をそれぞれゲームオールで下しての優勝だった。ティモ・ボルはこの大会を生涯ベストゲームに挙げているとも言う。
さらにITTFプロツアー(当時)の総決算として行われたグランドファイナル2005も優勝。
そしてボルの本当の真価は、ヨーロッパ卓球に致命的かつ決定的な退潮が見られてきた、2010年以降に発揮される。
2010年モスクワ世界選手権、当時すでに王皓以外の選手には無敵クラスの強さを誇っていた馬龍に対し、ボルは馬龍の信じられない程の豪打に押されながらも、粘り強いプレーで最強者の焦りを誘った。根負けした馬龍がドライブをラケットの横に当てるミスを連発していき、とうとう3-2で撃破し、世界卓球史上に残るシーンを演出した。
2011年ロッテルダム世界選手権、柳承敏、サムソノフと言った頼みの綱がフルセットの良い試合をしても、最後の最後で負けてしまう中、ボルは中国の陳杞を横綱相撲で下し、ヨーロッパに6年ぶりのシングルスメダルをもたらした。
2012年ドルトムント世界選手権。大満貫を達成するプロセス上に居た最高潮の張継科に、ボルは先に2セットを連取される絶望的な状態から、2セットを奪い返し、あわやというシーンを魅せつけた。
2012年ロンドン五輪。馬龍、張継科、王皓という史上最強クラスの3人を集めた中国に対し、シングルス金メダルを獲得した張継科相手に、なんと3-1と快勝し、チーム唯一の1点を力でもぎ取った(確か中国はこれがロンドン五輪で失した唯一の1点だったはず)。
2013年パリ世界選手権。中国選手たちのあまりにも分厚すぎる壁にブチ当たり、力なく他が敗退していく中、ベスト8でやはり「王皓以外には最強」の馬龍と対戦。世界一レベルの豪打の雨に晒されながら、2セットを奪い取り接戦へと持ち込んだ。あの馬龍の勝利後のあまりにも大きなガッツポーズは、強者であるボルとの試合がとてつもなく厳しかった事が伺えた。
2014年東京世界選手権。またもやの馬龍との試合はストレートで敗れてしまったものの、ゲーム自体は競っていて(6,9,9)、1ゲームでも取っていれば明らかに流れが代わっていた所だった。
2015年蘇州世界選手権。もはや驚異を通り越して狂気の18歳とも言うべき、超絶チキータおばけ・樊振東に対し、ボルは全セット競る好ゲームを魅せた。結局2-4で敗れてしまったものの、やや呆気無く敗れた唐鵬、フランツィスカ、水谷隼に比べ最後まで抵抗。2ゲームを獲ったのはボルだけだった。
本当に、ボルが世界の卓球の最後の砦だったのだ。
ボルが居なかったら…想像するだけでゾッとするばかり。
中国NTのひみつ道具「楽々表彰台の最上段へ行けるどこでもドア」の前に、この15年間たった一人で門番として立っていたのがボルだった。
ああ、また中国か、中国独占か…というあきらめムードが漂う中、いつもそれに全力で抵抗してくれたボル。
「無理ゲー」と思い、殆どの選手がさじを投げるシーンから、まさかの逆転を魅せてくれたボル。
中国選手を前に圧倒的なボールのパワーの違いを前にしても、丁寧に1点ずつ取っていき、いつも接戦に持ち込むボル。
日本以外のトップ選手で本当に数少ない、補助剤不使用の選手とも言われるボル。
「中国に勝つ」が夢物語じゃない事を実際に教えてくれたボル。
ボル、生まれてきてくれて、卓球を選んでくれて、中国と闘ってくれて本当にありがとう。
まだボルには及ばないものの、オフチャロフ、フランツィスカという後釜が出てきた事は、ボルが頑張って耐えてきた背中を見た事にほかならないと思います。
ボルの「欧州卓球界の皇帝」という称号が、「ラストエンペラー」にならない事を切に願います。
そして、これからも頑張れよ、中国を倒してくれよボル!
コメント
コメント一覧 (2件)
確かにこうして見ると、ティモ・ボル選手がヨーロッパの最後の砦、そして中国選手に勝てるヨーロッパ勢として中国人もこの対戦だけはいつも楽しみにしていたかもしれません。
今後は、ジュニアの層が暑いフランスやスウェーデン辺りの選手がトップの方に来ると思います。個人的には、女子の方が完全にアジア>>>ヨーロッパぐらいの図式があるので、ヨーロッパ女子にも誰か来てほしいです。
そう、急速に弱体化して分厚い雲が覆ったヨーロッパ卓球の中で、ずっと燦然と輝く太陽として君臨してくれたのがボルでしたね。そして世界選手権などのビッグタイトルで、中国以外の選手として最後の砦として矜持を守ってくれたのもボルでした。2009年横浜大会をボルが欠場した時、中国側が「張り合いがない」と語っていたのも印象的です。
ヨーロッパ卓球はとにかく先行きが思いやられますが、仰るとおりフランスやスウェーデンで有望な新星も出ているので、応援したいですね。女子の奮起も待たれますね。それこそドイツ辺りに期待したいです。