「はじめて卓球をしたとき、使ったラケットを覚えていますか?」
覚えていても、いなくても、恐らく使っていたのはこのラケットだろう。
バタフライが1961年から、半世紀にわたって販売していたラバーばりペンホルダーラケット、ビリーバだ。
ラバーばりラケットの宿命で、どうしてもあまり回転がかからず、弾まない。でも1000円そこそこで、気兼ねなく使える。学校のレクリエーション、温泉、公民館…初心者が卓球を楽しむ場所には、必ずこのビリーバがいた。私の中学時代の卓球部でも、緊張の初日に持ってきたラケットはみんなビリーバだった。
世界でも販売され、一説には世界一使われたラケットともいわれるビリーバ。実はラケット名の語源は「Believer(信じる人)」では無い。ある伝説の名選手の名前であることは、あまり知られていないだろう。
【「ビリーバ」とは、13歳で当時の世界チャンピオンを4度破った天才少年の名前】
その名前の由来となったビリーバさんは、ブラジルの天才卓球選手だった。
1959年の世界選手権ドルトムント大会で中国人初の優勝、シングルス世界チャンピオンとして第1シードで1961年の北京大会に臨んだ容国団を、当時15歳にして下したのが、このビリーバさんだった。
さらにはその3年前の1958年、日本ブラジル移民50周年を祝うイベントで世界チャンピオンを2度獲った当時の世界最強とも言って良いコンビ、田中利明と荻村伊智朗とまだ13歳だったビリーバさんが対決。
特に、昨年世界チャンピオンを獲得したばかりの田中とは7試合し、なんとビリーバさんが4勝3敗と勝ち越し。荻村には6試合のうち5敗を喫するも、それでも1勝を奪っている。
いまの張本よりも凄かったかもしれない、正真正銘の天才卓球少年がこのビリーバさんだったのだ。
【サンパウロ在住・石田さんのご協力で、ビリーバさんへのインタビューが実現】
そこで吉報が舞い込んだ。それはブラジルのサンパウロ在住の卓球愛好者の石田敏信(Toshinobu Ishida)さんから頂いた話だ。
その石田さんのお言葉が、耳を疑った。
「私はビリーバのモデル、ビリーバさんの卓球仲間です。彼にビリーバラケットを打って、語ってもらいませんか?」「そして、それを記事にしませんか?」
という、夢じゃないか・・・?というものだった。なんでも石田さんは、普段から同じクラブでビリーバさんと練習しているのだとか。私は2つ返事でそのオファーを受け入れた。
インタビューは、ビリーバさんの故郷で今も居を構えるサンパウロの卓球クラブにて行われた。
(ここから先は、石田さんのインタビューで得られた情報をもとにお送りします。質問は石田さんと私が考えたもので、いわばこの記事は石田さんとの合作です)
【ビリーバさんに、ビリーバラケットを見せてもらった】
下の画像の左に見えるのは、懐かしい黄色いパッケージ。そのすぐ右横に、目を疑うものがある。え、表ソフト!?
ビリーバさんによると、実は昔、表ソフトのビリーバがあったという。
またビリーバさんはアメリカのハーレム・グローブトロッターズというバスケットボールチームの試合でハーフタイムショー的に卓球の試合を半年間ほど行っていて、あの元世界チャンピオン・バーグマンとデモ試合を繰り広げた。そのときにも、表ソフト版ビリーバをラバーだけ剥がして数ヶ月間使っていたことがあったとか。
さらには、ラケットの裏に「シール」が貼られたビリーバまである。これは後から貼られたのか、それとも最初から貼られているのか。もし最初から貼られているとしたら、今じゃ絶対にありえない、思い切り時代を感じさせるビリーバだ。
【ビリーバさんに、ビリーバラケットを握って頂いた】
超初心者用のビリーバ。温泉卓球やゲームセンターの卓球場でやや乱暴に使われていたあのビリーバが、歴史上の名選手だったビリーバさんの手で握られている。その対比がどこかアンバランスに見えるけど、感慨深い。
グリップに無理が感じられず、スッとおだやかに握られたビリーバ。いよいよ、このビリーバで、ビリーバさんに打球して頂く。
【ビリーバさんがビリーバラケットを使う姿は、美しかった】
美しいスイングで、見事なフォアハンドを打っていくビリーバさん。1945年6月26日生まれの71歳とは思えない、教科書どおりに正確に打ち込む姿に、思わず目を奪われる。ビリーバさんがビリーバを使う姿は、とても美しかった。
【「バタフライにいつの間にか名前を使われていたけど、それは名誉な話。」】
彼は語る。
「母がパラグアイへ行ったときでした。知り合いから「こんなラケットが店にあるよ」と見せてくれ、はじめてビリーバなるラケットが売られていることがわかったのです」
つまり、当初バタフライはビリーバラケットを売り出すことを、張本人のビリーバさんに知らせなかった。しかし彼は、それについて責めることはない。
「名前がラケットに使われたのは名誉です。世界一有名な卓球用品会社である、バタフライからネーミングされたのは誇り高いこと。後に契約書にサインしましたが、命名権の使用料も私は一円も受け取っていません。しかし私は昔のスポーツマンですから、名誉だけで良かったと、今でも思っています」
今の時代では考えられない、往年のスポーツマンらしい愚直なほど真摯な発言だ。それが良い、悪いは別にして、これほど美しいセリフを語れる選手がいま居るだろうか。
【「もう少し良いラバーとスポンジを使ってほしかった」】
ということは、もちろんビリーバさん自体は製造には関わってはいない。だがそうして出来上がった自らの名を持つラケットに、ビリーバさんは少しだけ注文をつけている。
「初心者用なんだけど、もう少し良いラバーとスポンジを使ってほしかった。私の名前が記載されているけど、性能は低くて(笑い)、他の中級、上級選手の用具に対してギャップが大きすぎました。まあ、中級・上級のプレイヤーが使うのは難しい。スピンがかからないのでミート打ちくらいですね。」
と。やはりビリーバさんは卓球選手。「自分の名前を使うなら、もう少し良い用具であって欲しかった」。笑顔を見せながらも、選手としての偽らざる気持ちがそこにあった。
【「ビリーバ」のあだ名は、イヤだった】
そもそも正確にはビリーバさんはビリーバでは無い。本名をウビラシ・ロドリゲス・ダ・コスタ(Ubiraci Rodrigues da Costa )さんという。ビリーバとはあだ名だ。あのジーコやペレなどと同じように。
何でも、リオの強豪サッカーチームのボタフォゴに「ビリーバ」という犬のマスコットが居て、それがきっかけで、実家の雑貨屋店員が気安く呼んだのがはじまりだった。しかし当時3歳だったビリーバ氏はあだ名が気に入らず、泣いていたとか。しかしその激しく嫌ったあだ名が、世界一普及したラケット「ビリーバ」に名付けられたのは面白い。
【ペンホルダーは死にません!】
ここでぜひ聞きたかった質問がある。「今後(片面)ペンホルダーは生き残れますか?」
「みんながシェークを薦める流れが強いからペンは廃れているわけです。ただ、2004年に柳承敏が優勝したのはまだ最近のこと。中国にも許シンが居るようにまだまだペンは発展できる。ただ、ペンの方が良いと言っているわけで無く、初心者が自分で好きなスタイルを選べることが大切で、その選択肢の一つとしてペンが残ることは大切なんです。」
インタビューをして頂いた石田さんによると、この質問は特にリアクションが大きかったという。その答えは一つ。
「私は、ペンが時代遅れとは思われたくないんです。」
それだけ、ペンという戦型にプライドを持っているのだ。ただ、ビリーバさんは以前日本式ペンだったものの、今は中国式ペンに変えている。
「世界チャンピオンの荘則棟を参考にしました。バックハンドの親指位置は、日本式だと少し無理が出るのですが、中国式だとスムーズです」。
【中国を倒すには、リズム・スピードの変化が大事!そして「中国人は倒せないとの概念」を捨てろ!】
ここで聞いておきたかったのがどうやったら中国に勝てるかだ。
1961年、ミスをしない鋼鉄のラリーで最強を誇った世界チャンピオン、容国団を破ったビリーバさん。
逆モーションで容国団のフォアを突き、自らの勝利を決定づけ、大舞台で無敵の中国選手相手に離れ業をやってのけた彼にそれを聞く。
「彼らはスピードが武器。同じスピードでは歯が立たない。打ち合いのリズムの変化、スピードの変化、そしてスピンで戦えばクロスゲームに持ち込めるのではと思います。」
「『外国選手は中国勢を倒せない』という考えは捨てなさい。中国選手もミスをするので、パーフェクトでは無いと思うことが重要。常勝のプレッシャーがある中国選手にはいつか焦りが出ます。私は劉国梁、王励勤、孔令輝の時代よりもチャンスがあると思っています」
【荻村伊智朗は、世界史上5本の指に入る天才だった】
「荻村は自在性、頭脳性、技術性を全て高いレベルで持ち、素晴らしいパーソナリティを持っていました。世界の卓球史上トップ5に入る天才。そして指導者としても素晴らしかった。スウェーデン全盛時代は彼がもたらしたと思います。」
【「水谷隼は、卓球への強い献身性を持つスポーツマン。私はファンです!」】
「私は、水谷隼選手のファンです。あの持てるテクニックを最大限に発揮するプレー。彼が中国選手へと立ち向かう姿をいつも楽しみにしています。そしてメンタルの強さと、卓球への強い献身性を持つスポーツマンだと思います。」
水谷を絶賛してやまないビリーバ氏。そしてあのブラジルの至宝にも熱く期待を寄せる。
「また、カルデラノ(ブラジル)は世界のトップ10に入るポテンシャルを持っている。世界チャンピオンになれるかわからないけど、私は強く応援しています」
【「卓球とは……全て。私の人生です」】
最後の質問。それは、「ビリーバさんにとって、卓球とは何ですか?」
それを聞いたビリーバさんの表情が変わった。
「この質問に感動しますから、最後まで答えられるかわかりません…」
そしてしばらく、ビリーバさんは言葉を発する事ができず、涙だけが溢れていった。やがて、口を開いた。
「卓球は私の人生です。全て………私の、人生です」
私は思う。石田さんもそう思ったであろう。世界一使われたラケットが、こんな素晴らしい卓球選手の名前で良かった。
コメント
コメント一覧 (4件)
1961年の北京大会、ビリーバさん対容国団のビデオが有ります。試合のごく一部ですが、当時のプレーと信じられないハプニング(ビリーバさんの優勝)が見られ、現在のビリーバさんの声が聞けます。(日本語字幕有り)
https://youtu.be/wG906x9mtkc
貴重な映像ありがとうございます。こちらブラジル卓球協会のサイトにも載ったんですよね。あとでツイートしておきますね。
すごく良い記事をありがとうございます。Costaさん、今使ってるラケットとラバーは何か気になりました。
ご覧いただきありがとうございます。確かにビリーバさんが今何を使っているかは気になりますよね。もし良い機会があれば石田さんを通じて聞いてみます。